熊本のシンボル・熊本城の歴史や見所まで一挙紹介!

熊本城 雑学

日本三名城に数えられる熊本城。

今回は熊本のシンボルとして地元民から親しまれている熊本城について紹介していきます。

01.熊本城の歴史

熊本城は熊本県熊本市にあり、茶臼山丘陵一帯に加藤清正の手によって慶長12年に築城されました。

その城郭は周囲5.3km、総面積98万㎡にも及びます。

熊本城は加藤家2代、細川忠利の居城として続き、明治10年の西南戦争では薩摩の大軍を迎えて50余日の籠城に耐えたことから、難攻不落の名城としても有名です。

加藤清正が熊本城内にイチョウの木を多数植えたことから、熊本城は別名「銀杏城」とも言われています。

現在は城内に熊本県立美術館や二の丸広場などの施設があります。

熊本城の石垣

熊本城の石垣

熊本城の石垣は通称「武者返し(むしゃがえし)」と呼ばれています。

地面付近はゆるやかで簡単に登れるように見えますが、上に向かえば向かうほど角度が急になり、武士はもちろん身軽な忍者でさえも登ることができないことから「武者返し」と言われるようになりました。

加藤清正は築城名人としても名高く、熊本城の他にも江戸城や名古屋城などの築城にも携わっています。

02.熊本地震による熊本城の被害

熊本地震の概要

平成28年4月14日、熊本県熊本地方に発生した熊本地震はマグニチュード6.5、最大震度7を記録し、4月16日にも最大震度7の地震が発生しました。

震度7の地震が同一地域で連続して発生したのは、震度7が設定された1949年以降初めてのことです。

本震の後も地震活動が活発な状態となり、熊本地震発生から3ヶ月後の7月14日までに震度1以上を観測した地震は合計1,888回発生しました。

参考:内閣府防災情報のページ

熊本城の被災状況

熊本城の重要文化財建造物13棟全ての建造物が熊本地震で被災、 復元建造物や石垣も大きな被害を受けました。

熊本城の北東に近接して位置する東十八間櫓(ひがしじゅうはちけんやぐら)、北十八間櫓(きたじゅうはちけんやぐら)は全壊、宇土櫓(うとやぐら)の五階櫓は屋根・外壁・建具破損だけで済みましたが、続櫓(つづきやぐら)は倒壊してしまいました。

北十八間櫓
全壊した北十八間櫓の様子
出典: 文化遺産の世界

また、復元建造物である20棟も全て被災。

塀のほとんどは倒壊し、飯田丸五階櫓(いいだまるごかいやぐら)、戌亥櫓(いぬいやぐら)など7棟は建物下の石垣が部分崩落している状態で、倒壊のおそれがある危険な状態です。

そして今回の地震で最も大きく被害を受けたのが石垣です。

熊本城の石垣は973面・約79,000㎡に及び、そのうち築石が崩落したのは229面・約8,200㎡、つまり全体の約1割が崩落しました。

緩みや膨らみで危険な箇所を含め、約3割に当たる約7~10万個もの築石を積み直す必要があります。

03.熊本城の修復・復旧状況

2018年12月28日時点の熊本城(筆者撮影)

復興のシンボルとして最優先で工事が進められた天守閣は熊本地震から5年後に復旧工事が完了しました。

耐震補強やバリアフリー化も施し、常設展示や内装も全面リニューアルしています。

しかし、復旧が完了したのは天守閣と重要文化財の長塀(ながべい)だけで、復旧が全て完了するのは2037年頃と言われています。

04.熊本城を観光しよう

熊本地震で大きな被害を受けた熊本城ですが復旧が着々と進んでいます。

復旧工事中の熊本城はまさに復興のシンボル。

今しか見ることができない熊本城の姿を見に、足を運んでみてはいかがでしょうか。

熊本城の見所:ライトアップ

ライトアップされた熊本城は日中とは違う顔を私たちに見せてくれます。

2021年8月より熊本城天守閣のライトアップ設備がLED照明に改修されました。

【点灯時間】日没から24時まで、及び早朝(日の出の前後30分を予定)

熊本城の見所:桜の馬場 城彩苑

熊本城のふもとに位置する城彩苑はまるで江戸時代にタイムスリップしたかのよう。

苑内には熊本の歴史を学べる「熊本城ミュージアムわくわく座」や、ご当地グルメや名産品が集まる「桜の小路」があります。

公式HP: 桜の馬場 城彩苑

05.熊本城へのアクセス

住所:熊本県熊本市中央区本丸1-1

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